今日は餃子の話なんですが、しばらく餃子食べてないなぁ・・・。
うちの娘は餃子が嫌いなので、娘が生まれてから餃子をめっきり食べなくなりました。
餃子作りたいし食べたい。餃子をもくもくと包むのが好きです(笑)

さて今日は元祖羽根つき餃子「你好」の店主、八木功さんについて調べてみました。

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八木功さんプロフィール


出典元

八木功さんは現在82歳!
日本人の父親と中国人の母親の元に生まれ、中国で生まれ育ち、青年期は自分は中国人だと思っていたそう。
幼少期に行われていた第二次世界大戦中に父親と生き別れ、中国残留孤児に。
その後、中国で結婚し二人の子どもをもうけ、順調に暮らしていたところに日本で暮らす父親から手紙が届いたそうです。
生き別れたと思っていた父親は親戚と大田区で暮らしていたことが判明し、八木功さんは迷いながらも父親との再会のため家族と日本へ。

日本へ来てすぐに日本語学校へ通い、生活保護を受けながら約2年半かけて日本語の勉強をされたそうです。
中国では建築会社で現場監督を務め、安定した生活を送っていたという八木功さん。
それを手放してまで、言葉もわからない初めての土地に来るのはすごく不安もあったでしょうが、父親に会いたい!という気持ちが強かったんでしょうね。
思い切って日本に来られたのは八木功さんが45歳のとき、というのも驚きです。

日本語ができるようになり、お世話になった人たちに中国で覚えた料理を振舞ったそうです。
中国の餃子は水餃子なので、最初は水餃子を振舞っていたそうですが、日本では焼き餃子が人気だということを知り、焼き餃子を美味しく作るために研究を重ね、羽根つき餃子にたどり着いたという八木功さん。焼くときに水溶きの小麦粉を少しかけてパリッとした薄皮をつけるのは、大連の焼きまんじゅうを真似たとか。

みんなの「おいしい」の声に背中を押されて、もっと料理の知識と自信をつけたいと思って恵比寿にある中華料理学校へ入学。
そこで料理の腕をあげるも開店資金がなく、悩んでいたそうです。

そんな八木功さんの話を聞いて大勢の友人たちが資金をカンパしてくれ、1983年の12月にお店を開店させました。
今でも本店には支援者の名前を記した額が飾ってあるそうです。

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お店の場所はどこ?


出典元

1983年にオープンさせたお店は大田区蒲田。テーブル5卓のお店に行列ができたそうです。

現在は大田区蒲田の本店の他に都内と埼玉県、神奈川県にお店があります。

  • 本店(東京都大田区蒲田4-24-14)
  • 別館(東京都大田区蒲田4-25-7 ハネサムビル地下1階)
  • ニーハオ大飯店 ※大宴会専門店(東京都大田区蒲田4-36-8)
  • ニーハオ恵馨閣(東京都大田区西蒲田7-45-1 イプセ蒲田2F)
  • 町屋店(東京都荒川区町屋3-8-21)
  • 志木店(埼玉県新座市東北2-37-11 プロスペールいそかわビル3F)
  • 池上店(東京都大田区池上7-4-7)
  • 大森店(大田区大森北1-13-11)
  • 目黒店(東京都品川区上大崎2-16-4 2F)
  • 渋谷店(東京都渋谷区渋谷2-19-17 第106東京ビル3階)
  • 大森駅前店(東京都大田区大森北1-2-1 THE CENTRAL OMORIビル地下1階)
  • 恵馨閣 元住吉店(神奈川県川崎市中原区木月3-15-30)

詳しい営業時間や電話番号などはオフィシャルサイトでご確認ください。

兄弟も餃子屋さん!

餃子激戦区とも呼ばれる蒲田。
そんな蒲田で蒲田御三家として挙げられるのが
你好(ニーハオ)、金春(コンパル)、歓迎(ホアンヨン)の3店だそうです。

そしてびっくりなのがこの金春、歓迎の経営者が八木功さんのご兄弟だとか。
餃子3兄弟!!(だんご3兄弟風・・・古いか・・・)
なので你好、金春、歓迎の餃子は羽根つきで、料金も同じだそうです。

八木家は7人兄弟で、八木功さんの成功の後に他の兄弟たちもお店を開店させていったようです。

あ〜蒲田に餃子ハシゴしに行きたい・・・
娘とは無理そうなので、友達と行こう・・・。

まとめ

今日は元祖羽根つき餃子「ニーハオ」の店主、八木功さんについて調べてみました。
小さな頃から苦労された八木功さん。
82歳の今も感謝の心を忘れずに餃子を作り続けているのが本当にすごいですよね。

いつかお店に食べに行ってみようと思います。

それではお読みいただきありがとうございました☆

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